法隆寺の玄関 南大門
美しい松並木を抜けると見えてくる法隆寺の玄関、南大門。
大陸から様々な文化や技術がやってきた飛鳥時代。
当時寺院の建築技術や考え方も、この大陸文化が大きく影響してきます。
その一つがこの“南大門”。
お寺に行った時のことを考えてみてください。
お寺には色々な門がありますが、入口はいつも南大門じゃありませんか?
西大門や東大門も存在しますが、入口はなぜか南大門。
これは、仏様は北に座っているという仏教のルールがあるからです。
仏様が北にいるから、その真正面に当たる南に正門を置く。
特にこれは、古くからあるお寺では絶対のルールです。
南大門の奥を覗くと、さらにもう一つ門が見えるのがわかります。
この門は“中門”。
古代のお寺はこのように正門が二つあることが多いです。
「なんで二つも門があるの?」
これは目的が違うからですね。
南大門は別名『僧門』。
名前の通り、僧侶だけが入ることを許された門。
昔は境内に一般人が入ることが許されていなかったからですね。
奥にある中門は別名『仏門』。
つまり、寺の僧侶ですら入れない仏様専用の門という意味です。
僧侶しか入れない境内、仏様しか入れない伽藍内を、門によって区別していた。
つまり現代でいうところの、玄関を二つ作った二世帯住宅みたいな感じですね。
飛鳥時代のイメージが強い法隆寺ですが、南大門は“室町時代”の建物。
元々あった昔の門は、1435年に焼失しました。
僧侶同士の派閥争いだったと言われています。
さてこの南大門。
入る前に石段の下を見てみましょう。
えぇ、どう見ても不自然です。
キレイに敷き詰められた石を分断するように埋め込まれたこの石。
“鯛石(たいいし)”と言います。
どうですか、右が頭で左が尾っぽ。
言われてみたらなんとなく魚の形に見えませんか?
この鯛石には、ある伝説があります。
その昔、大雨で近くの大和川が氾濫を起こしました。
そしてその水はこの南大門の辺りまで来て、このままだと境内に…。
しかしそこで水はピタッと止まり、そのままサーっと引いていったそうです。
不思議な話ですね。
そして水が引いた後、石段の前にピチャピチャ跳ねる一匹の鯛が…。
うん。
川に鯛がいる謎が霞むぐらい、突っ込みどころ満載です。
この『鯛石』は、法隆寺七不思議のひとつです。
残りの六つは全て境内。
では、境内に入っていきましょう。